政治家の資質

地元で集会があり、参加してきた。
今、私が住む片瀬山自治会では、自治会長と住民との間で軋轢が生じている。
一言でいえば、県による計画道路についての賛否により「自治会が割れている」ということだ。
この道路、住民に賛否を問えば
「反対」
という声が多数だ。しかし、住居を取得する際、道路計画があることを承知していたはず、と言われてしまうだろう。
私は、住民としては素朴に「もう道路は要らないんじゃないの?」と思うが、市議としては、そう簡単にはいかない。

現状、道路建設は片瀬山の手前でストップしており、当面進捗しそうにないが、県による地元説明会が始まっており遠からず事業着手するつもりにも見える。
この道路は「県」の道路、つまり片瀬山の問題のみならず、900万人県民のものでもある。
また、「これから計画を策定」するのではなく、50年前に都市計画決定されており、事業は「遅々として」進んではいるのだ。
これから道路計画の是非を問う、というものではない以上、単なる反対は通用しないのでは?ということは、以前も述べた。

「道路はいずれ出来るのだから、行政側に注文をつけ、環境影響や道路予定地の上部利用(地下トンネルの予定)など、地元の意向を最大限取り入れて貰うようにするべき」
「ただ反対を唱える姿勢はいかがなものか。道理はない。それでは、通る要望も通らなくなってしまう」

「『都市計画決定』されている、といっても、高度経済成長期の計画であり今や見直すべき時にきている」
「道路の賛否以前に、これまでは自治会として計画道路問題に取り組んできたのに、現執行部が住民に図らず方針を撤回したのは認められない」

おおまかに言って、争点はこうしたところか。
双方言い分はあろう。私としては、心情的には道路反対に理解を示すものの、現状の県・市の状況をみるとなあ。
私は一応?市議なので、こういう時に「どちらの側に着く」と決めるのはムリ。さりとて知らんぷりもできない。非常に悩ましい。
この件については、これ以上述べるのは控えるが、「賛成派」「反対派」みたいに、単純に色分けするのは話は早いが事の本質を見失うような気がしてならない。

こういう時、市議ってムツカシイ立場だな、と思いながら家に帰る。
帰ったら、NHKで「政治漂流」みたいなテーマの特集番組が流れていた。
前政権の安倍総理から菅総理まで、5人の総理が一年で替わってきた。その間の永田町は混乱を極め、国難とも言える事態を前にしても政争に明け暮れる様は、国民の絶望を招いている。

どうしたら、政治を良く出来るのか?
どうしたら、まともな政治リーダーを選べるのか?
どんな政治家が望まれるのか?

そうした内容だったと思う。
私は普段からTVは殆ど見ず、この番組も少しして見るのをやめたので番組自体の感想を述べる資格は無いが、番組が切っ掛けとなって日頃から感じていたことを書いてみたくなった。

私は、自分は政治家の「はしくれ」かな、という自覚はあるものの、自分が人々のリーダーであり民意を汲み取って行政を動かしてく存在だ、という自覚があるかなあ…。
と言ってしまったら、「お前は市議やめろ!」といわれてしまうだろうから「十分でないかもしれない」と言い直しておく。

さらに言えば、自分が「権力者だ」という自覚は無い、というか、これも乏しい、としておこう。
しかし、世間から見れば、あるいは市職員から見れば、それは違うだろう、という自覚はある。
実際、現在進めている100条委は、証人喚問された人からみれば権力そのもの、だろう。
この点は意識せざるを得ないし、また自戒が必要だと思っている。

で、政治家とは何か?
番組は、岡田前幹事長ら、与野党のリーダー格の議員が出演し、識者との対話形式で進んでいた。
いくつか印象に残った言葉がある中で、識者の一人(私は初めて見る顔だった)の
「政治家に『聖人君子』であることを期待しすぎ」
という発言に、同感だと思った。

私自身は「聖人君子」から程遠い、ことは言うまでも無いが、一応、政治家をやらせて貰っている。
市議会をみても、みな私よりは立派かもしれないが、そういうタイプは見当たらない。
と言って、全然だめか、といえばそれもないだろう。
それなりに、と言っては悪いか、40万市民の代表として、それぞれ負託に応えようと奮闘していると思う。

私は、常々「有権者は政治(家)に多くを求めすぎているのではないか」と感じている。
諸外国の事は殆ど分からないが、見聞きする中で私が感じるのは、我が国は(諸国と比較して)例えば「宗教」「哲学」みたいな領域に関しても政治(と行政・教育)に求め過ぎているのではないか?という気がしてならない。

確かに、民主主義の理念は崇高であり、その実現を図る政治は尊い、のかもしれない。
だが、一方で政治とは、異なる者同士の利害の調整、という側面が大であり、そうした政治の現場、交渉・調整の現場では高潔な人格の持ち主は自家中毒に陥るのではないか。
政治の現場では、いわば弁護士のような実際的な交渉・調整能力が問われる場面が多い、というのが「『実務として』政治に携わる者」の一人としての実感だ。

番組では政治リーダーのあり方が問われており、この辺りで見るのをやめたのでどう展開したかは分からないが、党代表選出のあり方、たとえば期間が短いとか、党という組織でリーダーを育てるような仕組みが必要、みたいな話が出ていた、のではないだろうか。
こうした事はよく聞く話であり、とりたてて異論はない。
いずれにせよ、私は
「組織としてリーダー選出の方法論を見いだす」
べきだと思っている。

で、政治リーダーを選ぶ技術的な事はさておいて、私が敬愛する人から
「リーダーの条件とは?」
という話を聞いたので、紹介したい。
1.先見の明
2.決断力
3.人気

という三つの条件がリーダーには必要、らしい。
納得するところだ。
上記三つは、持って生まれたモノが大きいのかもしれないが、特に1.と2.は経験・努力・訓練で身につけられるのではないか。
3.に関しても、人から好かれるタイプとか、そうしたものは天性・育ちの影響が大きい気もする反面、やはり努力・訓練次第で結果は違うだろう。

これらを身につけるには、本人の努力はもちろん、組織として、政党なら政党内の仕組みをつくって鍛えていけば、リーダーをつくっていく、ことは十分可能だと感じる。

私はというと、なんとも心許ない。中でも、3.が決定的にないな。