いよいよ市議選

4月17日、藤沢市議選が告示される。
私にとっては三度目の選挙だ。

一回目、無我夢中で、いわば「いわれるままに」動いた。
二回目は、後援会と意見が衝突したものの、私はワガママをとおした。
いずれにせよ、結果はほぼ同じ。柳田、っていうよりも「葉山」がモノを言った、のだろう。

そして、三回目の選挙は、前回と構図は似ているが、決定的に違うのが、今はもう岳父はいないのだ。
なので、葉山への恩や義理を感じている人が私に投票してくれたが、そろそろ義理立ても終えてよいだろう、となりはしないか?と見る向きもあるようだ。
しかし、私が葉山峻の娘婿だと知っている人で、過去二回も投票してくれたのならばそれは今回も変わらない、と信じたい。

柳田市議が有望株、かどうかはさておき「葉山イズム」のようなものがあるとしたならば、それを受け継ぐのは
私をおいて他はいない、と言い切りたい。

さて、今回の選挙は、未曾有の大災害の中で挙行される異例のモノとなった。
とはいえ、統一選前半を見る限り、民主への逆風とみんなの党や首長主導のローカルパーティーへの追い風、といった構図は震災の中でも変わらなかった、と言ってよいだろう。
私にとっても厳しい選挙となることは間違いない。

大災害を前にして、選挙どころではないだろう、という批判もあった。
では、選挙は何のためにあるのだろうか?

まず、記憶に新しいところで言えば、「郵政選挙」がある。
郵便事業の国営を維持するのか、あるいは民営化して市場原理にもまれ、さらなる効率化を進めるのか?
まさに、選挙で問うに相応しい「争点」があったわけだ。

翻って、今回の選挙はどうか。
あれだけの災害の後であれば、まずは被災地の復旧・復興が叫ばれ、そのためにあらゆる手段を尽くす。
直接の被害を受けなかった藤沢のようなところでは、被災地の皆さんのために市は何をするのか、また沿岸部を抱える自治体として、どのような防災対策を行っていくのか?

いずれにせよ、与党も野党も、大きく主張が変わることはないだろう。
やはり、争点は見当たらない、ということになり、選挙自体の意味が問われ、また市民の関心も低くなる、のは容易に想像がつく。

ならば、今回は選挙を挙行する意味が無いのだろうか?
といえば、そんな事はない。
選挙の意義は、前述したように、世論を二分するような争点に決着を付ける、だけでなく、当選時の志を失った議員をおろし、フレッシュな議員に変える、という意味も大きい。
あるいは、思い上がった議員はその職を失う、事を示すことによって、代表者の襟を正させる、という事もあろう。それだけでも、選挙を行う意味は小さくない。

そして、藤沢市議選はどうだろうか。
争点は、ある。
善行の土地取得問題に現れたような、議会そのものの存在意義を問うこと。
今の藤沢市議会のような、首長追従の議会でよいのか?

もっと有り体に言えば
「市長の与党が過半数を制するか否か」
ということだ。
政策、というよりも政局的には見えるが、ある意味でこれ以上の争点はない。

また、全国的な争点としては
「民主党が勝つか負けるか」
ということになるだろう。
今の民主党政権は、衆院選大勝が元になっており、変えたいと思っても衆院選は当分先だろう。
であれば、民主党に対して有権者が成績表を付ける手段として、地方選挙が捉えられることになる訳だ。

私は、初当選以来、一貫して民主党公認で選挙をしてきた。
民主党しか私にはない。
考えようによっては、民主党の色を出さない方が、逆風の中では得策なのかもしれない。
しかし、選挙の争点が民主党そのもの、になっている以上、そこから逃げるのはナンセンスだ。
民主党政権への評価が、単なる地方市議の評価になってはたまらない、と正直思うが、衆院選の勝利に多少は貢献した、という自負も私にはある。
以前も当ブログで述べたが、「民主党」というバスの運転手ではないが、切符売りの立場ではあるだろう。市議選で審判を受けるのは仕方がないことだと思う。

いずれにせよ、私の政策は公報や当ブログでも示してきたので、ここで繰り返しは避けたい。
争点に向き合い、愚直に政策を、あるべき市の姿、市議会の姿を訴えていきたいと思う。

これまで私を支えて下さった皆さんに、こころから感謝を申し上げます。
議場に戻れるよう、全力を尽くします。
ブログを読んで下さっている皆さん、当ブログは選挙が終わるまで更新できません。
当選!の報告ができると良いのですが、いずれにせよ、選挙が終わったらまた書いていくつもりです。
なかなか筆が進まないのですが、これまでお読みいただきありがとうございました。
選挙、頑張ります。

2011年4月16日

藤沢市議会議員
柳田秀憲