私には夢がある、か

I have a Dream!
マーティン・ルーサー・キング師の有名な台詞。学校で習ったのでよく知られている。
師を政治家とはいわないかもしれないが、アメリカ国民に、世界に夢を語り、今なお尊敬される偉人である。

善行問題、地域経営会議など、このところ私は市政批判・市長批判を展開している。
これに対して、支援者から
「批判もいいけど、何をするか、が大切では?」
「選挙なんだから、市民にわかりやすく発信しなければダメだよ」
との指摘を受けた。
「政治家は夢を語らなければ」
という事も言われる。夢、とは何だろうか?
藤沢に新幹線を通す、東名高速を通す。あるいは、空港をつくることか、江の島を国際観光地にすることだろうか。
私だってそうなればよいな、と単純に思う。
しかし、現実はそうはいかないのは言うまでもない。

あとは、抽象的なことなら言える。
「揺りかごから墓場まで、一生安心して暮らせる街」
「障害がある人もない人も、みんなが笑顔で暮らせる街」など。

確かに、行政は生まれてから亡くなるまで(亡くなった後の墓地もある)、朝起きてから夜ねるまで、人生の、生活の全てに関わっている。
障害は、生まれつきの人もいれば、人生の途中で障害を持つこともある。病気にもなるし、怪我もすれば、仕事を失ったり破産したりもする。
今元気で不自由なく暮らしている人だって、いつどうなるか、分からない。

私は思うに、人生のステージにおいて、
0~20歳と60~80歳の合計40年間が「他人の世話になる期間」で、
20~60歳
とこれまた40年間が「他人を支える期間」
と「仮定」して、各制度が出来ているのではないか。その前提で、「人生80年」と考えた場合、40年間は支えられ、40年間は支える。
この帳尻があっていれば、納税の負担は納得しやすいかもしれない。

現在の日本はどうだろうか?
0~20歳までの人は減り、20~60歳も減る。で、60~80歳が増えていく。
この事により、各制度が現状に合わなくなってきている訳だ。では、どうすれば良いのか?
(ここでは、障害がある人や元気な高齢者はとりあえず論じていないことはご了承頂きたい)
ここに、今の日本の閉塞感があるのだと思う。

0~20歳は「未成年」だから支えるとして、20~60歳では60~80歳を支えきれなくなってきた。
ならば、65、70歳くらいまで頑張ってもらうのだろうか。「40年」がなり立たなくなってきているのなら、「支えられる」のが35年、とかになり、支えるのは45年、とするしかないかもしれない。
しかし、そうなると、ただでさえ就職難の20~25歳くらいまでの人が、ますます仕事がなくなるかもしれない。25歳まで、支えることにするか。そうなると、「35年」と「45年」という計算ならば70歳まで「支える側」で頑張らなくてはならない。どのように制度設計をしたらよいか…。

そして、単に「未熟な」期間と「衰えた」期間を支えるのではなく、障害者のことや、病気の事も考えなくてはならない。
産業の活性化、金融、国際間競争のことも考えなければならないし、自治体ならば「自治体間競争」だってある。
治安、外交国防安保は常に頭痛の種。
政治・行政が解決を求められることは山積している一方、財政は危機的状況だ。

他方、人権・差別といったことは、解決しているとは言えないだろうが、社会問題化するほどわが国は酷い状況とは言えない、と感じる私は不感症になっているのだろうか。
もちろん、格差は無視出来ないところまで来ているだろうが、格差を生み出した明確な「犯人」がいて、それを取り除けば済む、と言うほど事は単純ではないと感じる。 そうした、高度経済成長を遂げ世界随一の豊かな国で、夢を語る難しさをどう表現すればよいのだろう。

どうやら、愚痴になったようだ。私なりに、あるべき市の姿を語っているつもりだが、時に批判となるし、時には夢がない、ことにもなろう。これから選挙に向けて、市民にメッセージを伝えていかなければならないのは確かだ。もう少し考えをまとめる必要があるのだろうな。