文化行政

先の2月定例会では、我が会派は
「人権」と「文化」
を中心に質疑をおこなった。
人権についてはまた後日ふれるとして、文化行政について思うところを述べてみたい。

藤沢市は豊かな財源を背景に、充実した施策を展開しているほうだと思う。
だが、特徴に乏しい気がする。
藤沢市は知名度にかけており、「藤沢市ってどこ?」と言われる事が多い。
市のイメージが希薄なのと同様に、市行政もこれといった「目玉」施策が無いという印象だ。
むろん、「市(長)が目立つ」ことを追求するのは邪道であり、市民ニーズをとらえて実直に政策を立案し執行していくことが市には求められる。
その意味からは、藤沢市行政は評価されて良いのだが、そうなると人間贅沢なもので何か目新しいものが欲しくなるのだ。

私は藤沢市は文化に力を入れている、とは言いがたいと思っている。
亡き義父が市長の時には積極的に「文化」施策を展開し、市民オペラを始め湘南台文化センターなど当時としては画期的な取り組みを行っていた。
義父が市長を退任後、義父の長期政権に対する反動と景気後退などが重なり文化行政は後退していった、というのが私の見方だ。

ものづくりで発展してきた我が国は今や新興国に追われる立場になり、逆転されている部分も少なくない。
工業製品の輸出に頼った経済成長には限界が来ており、これからは知的財産によって世界をリードするように国の仕組みを転換していかなければならない、と言われるようになって久しい。

そこで「文化」の出番となる。
現代の成熟社会では、観光にせよ製品にせよ、文化的な背景がなければ(世界の)人々の支持を得ることは出来ないからだ。
そもそも、文化的な生活を送る、というのは憲法に規定された基本的人権の一つだと思う。
また、文化、なかでも芸術は人間性の極致、精華、である。人間を人間たらしめているのは文化芸術であると言っても過言ではないと思う。
人々の権利を実現するために税を用いて文化振興を図ることは行政の義務である、と言い切らせて頂く。

まあ、そうした「そもそも論」はさておき、これから世界の中で、「日本は何で食べて行くのか?」という視点に立ったとき、文化に行き当たる。
更に言えば、各国・各地の文化は尊重されるべきものであり、人々の間で文化を尊重する機運が高まれば自ずと世界平和への道となる。

このように述べると、文化に力を入れることはいい事ずくめのような気がしてくるが、そう簡単ではないだろう。
なぜなら、文化・芸術は理論よりも情緒、感情が勝る部分があるからで、また、費用対効果の測定が大変困難だ。金がかかる割には、即効性が乏しいのだ。

ともあれ、乗り越える課題は少なくないが、これからの藤沢市は文化行政に力を入れるべきだと思っており、このところ、そのための調査に時間を費やしている。
 「各市の文化行政を視察する」といっても美術館や博物館を見て回っていると、何ら遊びと変わらなく見えるだろうが、その点はどうぞご容赦を。

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