片瀬山
1月8日、片瀬地区の賀詞交換会が行われた。例年通り地区内の多くの皆さんが集り楽しい会となったが、会の冒頭で
「片瀬山の連合自治会が今朝の神奈川新聞に掲載されているのでご覧下さい」
との報告があり、記事が掲載された新聞が散会後出席者全員に配られた。
私の記憶の限り、このようなことは賀詞交換会で初めてではないだろうか。
片瀬山連合自治会とは?「片瀬山」という住所は1丁目から5丁目まであり(私の家は2丁目)、各丁目毎に自治会があるのだが、それを包括する1~5丁目までの「連合」自治会を組織し、独特な、ユニークな取り組みが行われている。
そこで、今回の新聞掲載を記念?して、私自身住んでいる「片瀬山」の紹介をしたい。
もとはゴルフ場だった丘陵を、昭和40~50年代にかけて三井不動産が宅地開発を行い、 「片瀬山住宅地」 となった。
比較的広い道路により区画された戸建て住宅が建ち並ぶ、整った街並みが住民の誇りとなっている。 この街並みを維持するために、片瀬山では住民が「建築協定」を結んでいる。 建築協定とは?
建築協定の制度は、住民全員の合意によって、建築基準法等の最低限の基準に、建物の用途・高さ・壁面後退等の一定のルールを定め、お互いに守り合っていくことを約束する制度です。この約束は、個人の様々な権利を制限しますが、そのかわりに、地域の環境保全や魅力ある個性的なまちづくりの実現に役立ちます。(市HPより)
この協定によって、片瀬山地区では原則的に建物は2階建てまで、共同住宅も建てられないことになっている。
都市計画法・建築基準法は、最低限度を定めているに過ぎず、法の範囲内目一杯で建築を認めることになると街並みが保てず各地で紛争を生んでいるのはご承知のとおりであり、その地区らしさを保つにはこの種の協定が不可欠になる。
その土地を最大限に使う、言い方を変えれば最大限お金を生むようにする、というのは土地所有者の権利だが、本来認められている権利を制限してでも街並みを保とうという住民意識が高まり、自治会の中に「建築協定連絡協議会」という部会を設置している。
愛する我が街を守っていこう、という素晴らしい取り組みだと思う。
だが一方でそのことにより「土地が売りづらい」という問題が生じてきた。
高度経済成長記に造成された新興住宅街の共通の問題として、年齢構成が偏っており高齢化が一気に進んだ。
「会社をリタイアし子供達も独立したので、老夫婦には広い家が不要になり便利なマンションに移りたい」
と考えても建築協定により敷地の分割が難しく、不動産価格が割高にならざるを得ない。
よって、これから家が必要になる若い人が取得しづらくなり不動産取引が活発化せず、住民の新陳代謝が起きない状況になっている。
ならば、広い家を建て替えて小さくし、残りの部分で賃貸住宅をたてて生計の足しにしよう、といってもやはり協定が足かせになり土地利用が出来ない。
街並みを維持するために経済的利得を犠牲にしているのだ。
住民は「やせ我慢」している
といっては言い過ぎだろうか。ちなみに、私は「やせ我慢支持派」だ。
片瀬山の住民約4200人のうち70歳以上の方の割合は30%を超えている。
市内でも有数の高齢化地区となっているのだが、ずっと住み続けたいと思っても坂がちなので高齢者には往来が大変だ、という声が聞かれる。
とはいえ、大して広くもない1700世帯の地区内にスーパーも飲食店もあり、医院・歯科医院はいくつもあるし郵便局や銀行もある。市民の家も街区公園も大規模公園もあるし中学校もある。
坂を下りたらすぐ「地域子供の家、通称『丸太小屋』」、大型飲食店、深夜営業のスーパー。バスの本数も少なくないし、モノレールの駅もあれば、私が住んでいるあたりは藤沢駅南口まで歩いて30分程度で行ける。
夏期や休日の渋滞はひどいが、それは市内南部はどこでもそうだ。
そのかわり「富士と相模湾の眺め」が手に入る。これに、喫茶店と気楽に一杯やれる縄暖簾があれば満点だが、それは贅沢というものだ。
ともあれ、利便性と環境に恵まれた地域だと思うが、前述したとおり若い人には敷地が比較的広いゆえ土地価格が重荷となり(我が家も二世帯。私の独力ではムリ)、高齢の方にとっては坂がちの地形が負担になってきているのは確かだろう。
こうした背景から、街の未来に対して危機感を持つ人たちの動きが活発になってきた(続く)。