さよなら、海老根市長

海老根市長の退任式が、本会議場で行われた。
1期4年の市政を担ったことに対して、議長から労いと感謝が述べられ、副議長から記念品が贈呈された。
海老根市長からは、答辞として、市長のみならず4期16年にわたり市議会議員を務めてきたことなど、思い出が語られ、引き続き市政に関わっていく我々議員に対して感謝と激励を述べ、締めくくられた。

議員と副市長以下の幹部職員により拍手で見送られ、議場を後にした。
市長は最後にもう一度深々と頭をさげ、退場していった。
私も色々な事を思い出し、ちょっとジーンと来てしまった。

私と海老根市長との関わりは、私が2003年に初当選した時から始まった。
私は1期生で、海老根「市議」は4期、市議会では第一人者といった風格だったが、新人の私に対しても腰が低く、
「なるほど、これが政治家か」
と思ったものだ。演説は上手くて声が大きく議会内での存在感は抜群であり、「憧れる」は言い過ぎにせよ、仰ぎ見る存在だったことは確かだ。

議員時代の思い出はいくつもあるが、議員の野球チームで人一倍張り切って練習していた海老根氏の姿が今も目に浮かぶ。海老根氏って、クールというかエエカッコしいな人かな、と思っていたが、泥臭い・人間的なところがあるのだなと思い直した。

二人だけで話をしたこともある。
そういう時って難しい話になるのだが、腹を割った話ができて良かったと思っている。

海老根「市長」になってからは、私は野党議員としてと市長に向き合ってきた。
2009年9月に土地問題が発覚してから市議会は与野党真っ二つになり紛糾、市の最大の問題になり、私は一所懸命に取り組んだし、地域経営会議など市長の掲げる重要政策に対して真っ向から反論を試みてきた。

何かのパーティーで市長と一緒になったとき、
「いつも責めてばかりですみません。しかし、私の仕事ですから」
と声を掛けたときに、
「いやいや、アタリマエです。私も市議のときに義理のお父上(葉山市長)の事を責めたし、失礼なことも言ったでしょう」
「今、自分が市長になってみると、葉山市長も大変だったんだな、凄い人だったんだな、とつくづく思いますよ」
なんて言ってたな。

私は「アンタは批判ばかりで生産的ではない」と言われたこともあったが、時の市長に挑む以上はこちらも勉強はした。
その過程で自治とか行政、法制度について幾分かは詳しくなっただろうし、私の批判を受けて市側の施策や説明が磨かれたという効果もあった、と思いたい。

海老根市政は「失われた4年間だった」という人もいるが、もちろん全てを否定すべきではない。
私自身の事で言えば、良かれ悪しかれアグレッシブだった海老根市長のお陰で議員として鍛えられたと思う。議会だって、オール与党時代よりもはるかに議会らしくなり、活性化していたはずだ。

打倒エビネでやってきたが、終わってみると切ないものだ。
まだ市長も若いので、今後も政治に関わる事があるのかもしれないが、今は身体をいたわって、少しリフレッシュして頂くのもいいのでは。
なんて、100条委で責任を追及している私に言われたくもないか。
ともあれ、海老根市長、大変お疲れ様でした。 

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