市長選挙終わる

市長選挙の結果、鈴木恒夫氏が海老根市長を破り当選。
新しい市長の誕生をまずは祝福したい。
選挙結果については、終わってから言うのも何だが、各候補の得票は概ね私の予想と一致した。その中で、同じ釜の飯を食う仲だった三野由美子候補は短期間でよく健闘したと思う。
ともあれ、各候補については、正々堂々の選挙を闘い、こころより敬意を表するとともに「本当にお疲れ様でした」と言いたい。

で、得票予想の根拠は?というと、私自身が市議会議員なので、そこを通してみるのが自分としては一番分かりやすい。
そこで、各候補の応援市議の数で判断してみた。その結果、各陣営にいた市議の数と、今回の得票の順位が重なる。
なんてこと無いハナシだし、応援市議の数の多少で市長選挙が決するとは限らないが、さりとて市議の感覚と市民の感覚が著しく離れている、ことも無いと思うのだ。
勝敗の分析については、新聞で報道されている通りだろう。なので、ここでは投票率が低いことについて、私なりの考え、というか感じた事の「一端を」述べて見たい。

今回の選挙の投票率は35.08%と、前回よりもやや下がった。低い、と言わざるを得ない。
選挙に行かなかった人が有権者の三分の二にもなる。
私は、市議会議員だし民主党で活動する身なので、選挙の素人とはもちろん言えないが、あくまでも、イメージ(の一端)のハナシ、としてお付き合い頂ければ幸いだ。

さて、「選挙」と聞いて、皆さんは何をイメージするだろうか?
私の子どもの頃のハナシをしたい。

幼いころ、両親の他、母方の祖母と暮らしていた。
で、この祖母が、政治が好き、というか、NHKのニュースや政治番組などが大好きで、私も何となく一緒に見ていたものだ。もちろん、意味はよく分からないのだが。
また、選挙があると、
「自民党の何派が増えた」(懐かしい、中選挙区でなければ成立しない考え方だな)
「新自由クラブ、っていうのが出来た。台風の目だな」
「いや社会党の議席が伸びないと政治がよくならない」
みたいなハナシを親たちがしているのを聞くこともあった(今の私が思い出し、想像しながら書いている)。
食卓の話題、としてである。これも意味は分からないまま、なんとなく聞いていた。
で、投票日になると家族で投票所に出かけ、そのままOKやデパートに買い物に行ったりしていたものだ。

ここまで書いて、何が言いたいのか。
子どもの頃、親をはじめとした大人と接していて、その振る舞い・言動等に対し、子どもなりにその人に対して
「その人のどこに『大人を感じる』のか」
というと、例えば「選挙」である。

子どもの私が感じていた大人「像」(の一部)

1.大人は新聞を読んでいる
(バサッと広げて、茶の間で新聞を読む姿が大人っぽい)

2.大人は難しそうな本を毎月買ってきて読んでいる
(今から思えば、「文藝春秋」みたいなものだっただろうか)

3.大人は政治のハナシをしている

4.大人は選挙にいく

5.大人(お金持ち)は「株」というものをして儲けているらしい
(近所に「あの人は株で生計を立てている」と言われていたお金持ちのお爺さんがいた)

この他、酒・タバコ、車の運転、ゴルフ、麻雀、背広にネクタイなどなど、大人アイテムは数多ある。
あとウチによく遊びに来ていた伯父さんは、辛い食べ物、囲碁と「サウナ」(名店ビルにあったのだ)が好きだったので、それらも大人アイテムだ。

翻って、今の子ども達の大人像は何だろうか。もう想像するしかないが、上記の大人像になるのかなあ?
なんか、一昔前は、
「大人は大人らしく」
子どもは子どもらしく、みたいな合意が確かにあったと思う。大人と子どもの間に、明確に「線」があったような…。

選挙に行くのが大人。
さらに、候補者を応援したりなんかして選挙に直接関わると、より大人っぽい。
私が子どもの頃はそんな感じだった、少なくとも自分にとっては。

新聞ばなれ、活字ばなれ。
雀荘も随分と減った。大人が大人らしく、みたいな感覚はいかにもアナクロだし、今の私自身、子どもの頃にイメージしていた大人像の「渋いオジサン」でも何でも無く、いつまでも精神年齢はガキだな、と自覚しているのだが(私は新聞を読むし本が好きだ。酒、タバコもやる)。

自分を棚に上げて言うのも何だな。
さらに、私自身、多くの有権者の足を投票所へと向けさせるような魅力的な候補者では無い、ことを百も承知で敢えて言うが、なんか、そんな事と投票率が重なって仕方が無い。昔は
「政治は大人の嗜み」
だったんじゃないのかなあ。

広辞苑より抜粋
大人=
(1)十分に成長した人。一人前になった人。成人。「体だけは―なみだ」⇔子供。
(2)考え方・態度が老成しているさま。分別のあるさま。「あの青年はなかなか―だ」
 

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