善行土地問題 誰が土地取得を決めたのか

※土地の特定(自治連側からの希望場所の提案)について


陳情には、具体的な場所が示されていないことから、舘野部長の提案により、板垣会長に再度市役所を訪れてもらい、具体的な場所を示してもらうよう鈴木センター長に指示した。その日付について、舘野部長と板垣会長及び同席した志村副会長は9月19日と断定。同席した大水参事、福岡主幹は9月19日頃。鈴木センター長は10月31日と、食い違っている。

(※鈴木センター長から当該土地について聞かされた中山主幹は、当初は「9月19日に近い」としていたが、再度その根拠を問われると「皆が9月19日というから自分もそう思った。」「センター長の言う日付の後だろうと思う」と証言を変えた。土地特定の席には同席はしていないものの、センターで一緒に仕事をしていた中山氏の証言変更は注目に値する)

そこで、(中山氏以外とは)かけ離れた日付を証言している鈴木センター長の証言の信憑性及び証拠について検証する。
鈴木センター長は、9月19日の自身の行動について、台風が近づいていたという当日の天候と災害対応、その日の日程について可能な限り詳細に証言しており、矛盾もなく記憶は確かだと判断する。
また、9月から10月という時間軸の認識と自らの手帳の記述を併せて証言しており、信憑性を認められる。その手帳も証拠として認める。
ただし、市民農園用地の希望の場所を特定(提案)した際の参加者のうち、10月31日としているのは鈴木センター長ただ一人(中山主幹は肯定的)であり、この日をもって土地が特定されたと判断することはひとまず留保する。

舘野部長は「農業水産課に陳情を検討してもらう際、土地が決まっていなければ検討出来ないので早急に対応したつもりであり、土地の特定は陳情書とともに現地案内図を経済部に渡した9月22日以前の日付以外にはあり得ない」と述べている。

だが、新井副市長は、既に7月の時点で土地を確認しており、9月18日の陳情の土地と同一との認識を持っていた、事になる。

(これ自体、なぜそう思ったのか不思議なことだが。当初、新井副市長は「7月に見た土地と9月の陳情の土地が同一なのは偶然」であり、「土地取得は自治連陳情を受けてから検討をはじめた」と説明していたが、一転して「陳情とは関係無く取得を考えた」という証言を行った。また、善行から陳情が出る、と前日に聞いた際「多分7月に見た土地じゃないかな」と市長に報告したと証言している)

陳情文にある「確保」の解釈を巡り、板垣会長は「市に買ってくれとは言っていない」と証言したのに対して舘野部長は「陳情者が買って欲しいと言っていた」と証言、両者は食い違っていた。

これは「陳情が取得の決め手になった」という従来の市側の前提が、新井副市長によって「陳情も一つの要素に過ぎない」とされた時点で無意味な食い違いになってしまった。
さらに、新井副市長においては、7月の時点で取得の判断をしていたことが、自らの証言で明らかになった。これは、中島参事、小林補佐、奈良補佐の証言及び農業水産課文書によって裏付けられている。

さて、陳情も一つの要素に過ぎないのであれば、陳情時に無かったはずの現地案内図が陳情とともに経済部に渡されていたとしても何ら不思議はない。実際、7月の時点で既に農業水産課が事業課になることを想定し奈良補佐が情報提供している。
舘野部長の言う、

「農業水産課に陳情を検討してもらう際、土地が決まっていなければ検討出来ないので早急に対応」

するために、陳情者にあらためて翌19日に来て貰う必要などないのだ。
翌日あらためて来て欲しい」と陳情者にお願いするなど礼を失しており大変疑問である。
また、同じく9月19日を主張する自治連副会長の証言は支離滅裂であるにも関わらず「9月19日」という日付のみ記憶が鮮明で断言しているのは不自然極まりない。

そこで、自治連陳情への回答が11月11日となっている事に注目したい。
この回答文には
「ご提案のありました用地につきましては、善行地区の中心にあり、駅に近いことから~」
とある。
この文面では、陳情文とは別の方法で自治連が土地を決め、提案したことになるだろう。なので、何らかの形で陳情者は希望地を示したはずであり、事実そうした場(市民自治部長室に来てもらった)が設けられた事自体は参加者全員が一致しており疑いない。

まず、仮に9月19日に自治連から希望地の提案があったならば、10月10日に取得の意思決定がなされているのだから10月10日以降はいつでも陳情に対して回答できるはずであるが、回答文書はそれから1か月以上経った後に送付されているのはどうした訳か。

この回答文には「前向きに検討」とある。ということは「11月11日」の「後に」計画を検討した上で土地取得に向けた手続きを進める意向だ、と読み取れる。

だが、実際には、ひと月前の10月10日に取得を決定し、10月27・28日と土地先行取得の決裁をして最初の手続きを終えているのだから、前後関係の辻褄が合わない。
取得の意思決定をし、先行取得依頼まで行った後の11月11日の回答なのだから「取得することにしました」ので「地元管理を前提に、有効に活用して下さい」のような文面になるのが自然である。

11月11日まで回答が遅れているのは、11月11日に近い時期まで自治連から場所の特定がなされなかったから、と推定できる。いずれにせよ文面と実際の市の手続きに整合性はない。

市は、自治連に回答する前に既に土地先行取得依頼をおこなったものの、自治連からの提案が済んでいなかったので、あらためて場所の特定をする必要を認識し陳情者を再度呼び出した、のではないか。
その後、場所を提案してもらい、変更取得依頼を出すことにより
「取得依頼された土地は自治連からの提案」
という図式が完成することになる。

そのように考えると、鈴木センター長が断言する10月31日は不自然な点はないばかりか、辻褄が合ってくる。
一方の9月19日だが、前述した通り、7月の時点で既に農業水産課が事業課になることを想定していたので、
「9月22日から農業水産課が陳情を検討するために、速やかに陳情者に9月19日に場所を特定(提案)してもらった」
という必要はなく、陳情翌日に再び陳情者に役所に来てもらい場所を決めてもらったという説明は、極めて無礼な話で不自然で無理があり、認めることは出来ない。

以上の分析の結果、自治連による希望地の特定(提案)は、これまでの副市長以下市職員の説明及び証言、板垣会長・志村副会長の証言から、陳情当日の9月18日から9月22日の農業水産課の検討を経て、最終的に市民自治推進課による取得を市長が決定した10月10日までの間に行われた可能性はないと判断する。
10月10日以降から回答を送付した11月11日までの間、これまでの市の説明、証人の証言の中で、鈴木センター長以外に陳情希望地を特定(提案)した日付に関する証言はない。

一方、鈴木センター長の言う10月31日についてであるが、鈴木センター長は本庁による土地取得の意思決定に一切関与しておらず、一連の手続の日付は当時は全く認識していなかった。その中での10月31日という証言であり、その日付は市の意思決定から回答書送付にいたる範囲に収まっており矛盾点はなく、証言の内容は具体的で信憑性があり証拠も提出されている。

よって、陳情者が希望場所を提案した日は10月31日の可能性が高い。
(続く)