視察の秋

季節は晩秋に入ってきた。
秋、といえば、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋などなどあるが、私たち市議にとっては
「視察の秋」
となろうか。
9月定例会と12月定例会のはざまのこの時期は、視察を設定することが多い。
天気は安定、過ごしやすい気候のこの時期は、旅行に適しているし各種のイベント・セミナーも多く、けっこう市議は忙しいのではないだろうか。
いずれにせよ、市議としてはこの時期に「自己研鑽」に励む?ことができるのだ。
私も何カ所か出かけてきたので、列挙してみる。

10月11~13日 青森市、三沢市、六カ所村(会派の有志議員と)
 全国議協会主催フォーラム。地方自治のあり方や議会改革について。
 フォーラム終了後、三沢市の航空博物館と六カ所村の核リサイクル施設を視察。

10月18日 栃木市(竹村市議と)
 100条委を実施、本年6月に前副市長を告発し、閉会。
 経緯について、内海まさかず委員長から直接レクチャーを受けるという幸運に恵まれた。

10月30~11月3日 訪中(有志議員など)
 (後述)

11月7~9日 鹿児島市、南九州市、北九州市(建設・経済常任委員会)
 路面電車の軌道緑化、観光行政、環境政策について視察

11月10日 湘南地方市議会研修会(湘南台文化センターにて、有志議員)
 菅谷 昭                  (松本市長・医師)の講演会
 チェルノブイリ原発事故後のベラルーシで医療に従事、その経験からの政策提言など

11月14日 藤沢市議会議員厚生会研修会(東京、有志議員)
 東京タワー展望台、羽田空港内のJAL機体整備工場を見学

11月16~17日 兵庫県・宝塚市、京都府京丹後市(議会運営委員会)
 議会改革について

こうしてみると、結構あっちこっち行ったな。
その間にも100条委が開かれ、多忙な日々だった。

100条委日程
 10月 6日
 10月20日(打ち合わせ会議)
 10月21日
 11月 4日
 11月18日

さて、10月30~11月3日の中国訪問について、触れてみたい。
目的は
「ニエアル氏のゆかりの地を訪れ、中国でのニエアル氏の功績の顕彰のあり方」
を調査すること、及び
「藤沢市・昆明市友好都市提携30周年記念事業」
への参加、である。

今回は、私たち市議会議員を中心とした
「ニエアル記念碑保存会」
の有志9名で訪中。
ニエアル氏の墓参り、幼少期を過ごした玉渓の家、及び記念館、上海のニエアル記念館を見学した。
中国でのニエアル氏は、現在の「新」中国建国の英雄として、また中国での西洋音楽のパイオニアとして、音楽家としても高く評価されており、特別な存在となっている。
「国家建設のシンボル」
としての地位を与えられているニエアル氏のような存在は、我が国では見当たらない。
そんなニエアル氏が鵠沼海岸で海水浴中の事故で亡くなったのを縁に、藤沢市と生誕地である昆明市との友好関係が始まったわけだ。
若くして非業の死を遂げたニエアル氏を、藤沢市民が手厚く祭っていることに対し、中国の人々は大いに感謝している、とのことだ。

藤沢市で、中国の国歌の作曲者が客死、この奇縁で結ばれた友好関係も30周年を迎えた。
亡き義父・葉山峻市長が友好提携を調印
した、ということで、私にとっても昆明には思い入れがある。
私は、中国語はサッパリだし、中国文化・歴史に通じているわけでは勿論ないが、といって三国志などの歴史物語や孔子など、人並みには?関心があるし、なんと言っても大国だ。
これから中国のことをキチンと学んでいきたいと思っている。

記念式典や前夜際での昆明市側の歓待は見事だった。
昆明は、中国の南端の雲南省の省都ということで、タイやミャンマー、ラオス国境の少数民族が多い。
その少数民族の素晴らしい歌舞音曲を見させてもらった。
また、雲南大学の日本語を学ぶ女子学生が通訳ボランティアをしてくれた。

中国は発展の一途で、日本を凌駕する勢いだ。とはいえ、彼の地からするとまだまだ日本は
「進んだ国」
でもあるのだろう、昆明の若い人から日本への憧れが伝わってくるのは嬉しかった。
ともあれ、岳父・葉山峻が築いた両市の友好は不変である、ということを確認できたことは、一市議の立場を離れ、感無量である。

行政視察としては、11月8~10日まで、常任委員会の視察で九州へ。
鹿児島市、南九州市、北九州市と、九州南北を縦断する視察となった。
さらに、11月16・17日は議運委の視察。
兵庫県・宝塚市、京都府・京丹後市の議会改革の取り組みについて、学ばせていただいた。
それぞれの市の取り組みは大変参考になるものだった。その中でも、今回は北九州市について、少しだけ触れてみたい。

というのも。
私は、昆明での藤沢の存在感を再認識し、有頂天になっていた、とまではいわないが、良い気分で帰国したワケだ。
で、視察で訪れた北九州市が、昆明市の行政職員の研修先になっている、と言うではないか?
何故、友好都市の藤沢市でなくて北九州市に?

実は、昆明の「滇池(でんち)」という大きな湖が、現在深刻な汚染に晒されているのだ。
日本も高度経済成長期には公害に悩まされたわけだが、急速に経済発展している中国などアジア諸国は今、公害問題に直面しており、既に公害を克服した日本に学ぼうとしている。
それで、昆明市は北九州市に下水道等の技術者を派遣しているのだった。

北九州市は日本有数の工業地帯であり、公害に苦しんだ末に克服した、という過去を持つ。
その苦い経験を逆手にとり、今は自治体をあげて環境ビジネスに取り組んでいる。
昆明から受け入れるだけでなく、技術職員の派遣も行っており、自らの経験の輸出による国際貢献及びあわよくばビジネスも、というしたたかさには感心してしまった。

だが、昆明の友好都市である藤沢の市議としては、正直いって少なからぬショックを受けた。
藤沢・昆明両市の友好関係は疑う余地もないにせよ、北九州市が行っている取り組みは、「今、役に立っている」のだ。
藤沢はといえば
「ニエアル氏が鵠沼海岸で客死と藤沢市民による慰霊・顕彰」
という関係は「象徴」に過ぎない、は言い過ぎだろうが
「『今・現在の』市民生活に直接関わる」中での両市の友好関係、は、果たしてどれほどのものだろうか?

比べるような話ではないのを承知の上で、敢えて述べているとご容赦いただきたい。
北九州市は日本最初の本格的な製鉄所があった街で、それこそ国際的にも知られた「公害を克服した街」であり、その意味では歴史・伝統は藤沢とは比較にならない。
そして、公害による苦難の歴史は我々には図りしれないが、藤沢も下水道の整備などで湘南海岸の汚染を食い止めてきた経験はあるのだから、頼ってくれなくて、とちょっと寂しくなってしまったのだ。

いずれにせよ、北九州市の取り組みは野心的で、大変刺激になった。
自治体外交の、一つのモデルとなり得ると感じる。
藤沢も「市民生活に直接関わる」部門での国際交流を増やしていきたいものだ。 

前の記事

オペラ座の怪人